徒然日記

自分の考えを忘備録的に書きます。

昨日読んだ本

おはようございます。

 

今日は昨日読んだ本が面白かったので紹介します。

ブロガーのちきりんさんとプロゲーマーの梅原大吾さんの共著である「悩みどころと逃げどころ」という本です。 

悩みどころと逃げどころ (小学館新書 ち 3-1)

悩みどころと逃げどころ (小学館新書 ち 3-1)

 

 

この本は基本的に真逆の環境で人生を送ってきたお二方がいくつかのテーマ(主に生き方とか世の中の常識、学校教育といったもの)について対談するという内容です。

私は基本的に読む本は直感的に面白そうだと感じるかで決めるのですが、この本も例に漏れずビビッと来たので買って読みました。結果とても面白かったのでやっぱり直感って当たるものですね。

 

オススメするポイントは、梅原さんの考えの深さと、それに全く逆の方向から切り込むちきりんさんの鋭さ、また対話の上手さです。

このお二方は真逆の環境で育ち性格も真反対である一方で、「日本の学校的価値観」に疑問を持っているという点では共通しています。ある一点についてはお互いに共感しつつも、他の点については「それは違うんじゃないの」と議論を進めていく過程に思わず引き込まれました。

 

学校教育についての対談の中で「真面目に学校で暮らしてきた人ほど人生に行き詰まることが多いのではないか」とちきりんさんは述べていたのですが、私はこれに大賛成です。基本的に学校内では先生や校則の言うことをただ盲目に守れという圧力が強いので、その結果自分の周囲のものに疑問を持たない人、答えを与えられないと何も考えルことができない人が大量生産されてしまうんですよね。

半ば洗脳に近いと思います。

学校という組織を円滑に回すことだけを考えたら組織に都合のいい人間を育てあげるのが一番だとは思いますが、それは教育の目的からずれているのではないでしょうか。

 

というように私はこの本に書いてある内容に共感できる部分が多く、読んでいてとても面白いと思ったのでオススメします。

 

それではまた明日。

 

 

ゴールデンウィーク初日

おはようございます。

 

今日からゴールデンウィークの休みが始まります。といっても予定はないので特に述べることもないのですが。

せっかくの休みなので本をたくさん読もうと思います。休みが5日間なので10冊とか読めたらいいですね。本はお金のかからない暇つぶしとしてとても秀逸でありかつ知識もつくので大好きです。

 

今日は文章を考えるエネルギーがあまり湧いてこないのでもう終わります。

それではまた明日。

五年前のことを思い出す

こんにちは。

昨日に引き続き、今日もブログチャレンジのタスクをこなしたいと思います。「五年前のことについて」という内容です。

 

私の五年前というと高校二年生の春ですが、その頃はただただ好きな人とのメールに夢中になっていた気がします。その人とは高一の年明けくらいに知り合って、何回か会ったり毎日メールのやり取りをしていました。私はそれはもうその人に惚れまくっていたので、毎日連絡を取れるのが嬉しかったですね。何ならそれで勉学に力が入らなくなったくらいです(笑)

 

それに加えてクラスで友達が作れず、孤独の日々を送っていたのが高校二年生です。高一と高三はそんなことなかったのですが、何故か高二だけはうまくクラスに馴染めませんでした。もう少しうまく振る舞えたんじゃないか、もったいなかったと今では思います。

 

そんなわけで付き合っていた人はいたものの(先に述べた人とは見事付き合えました)全体的に灰色の、もっと言えば黒い青春の一ページが私の五年前です。

毎日思い悩んでいたとは言えあの頃はまだ将来に希望を持っていた気もします。まだ大学受験も先のことで、大学に行けばもっと楽な生活になると信じていたからです。

楽な生活になるというのは大当たりでしたが、思い悩む頻度や程度は増えた気がします。なかなか思い通りにはいかないものですね。

 

中学の頃は「高校に行けばもっと話の合う人がいっぱいいて楽しいだろう」、高校の頃は「大学に行けばもっと自由な生活ができるだろう」という希望があり、それで何とか日々を頑張れたのだと思います。

しかし大学四年生になってしまった今、「社会人になれば…」に続く形で希望を持てるような事柄は何も浮かびません。毎日仕事をしなければならないのはとてもつらくて自分には耐えられないだろうし、お金を稼いでしたいことも欲しいものも何もないし、何と言っても残りの人生が長すぎて絶望する以外の選択肢がないというのが現状です。

 

中高と頑張って勉強していたのは一体何のためだったんでしょうね。将来を見据えて有利そうだからという理由で理系を選択して、嫌々ながらも勉強をしていましたが、結局限界が来て何も持っていない状態になってしまいました。それなら最初からつらいと分かっている選択肢を選ばなければよかったと思います。

それに、好きではないことを無理矢理やる気を出してやろうとしたことで自分が何を好きな人間だったのか全く分からなくなってしまいました。何かを選ぼうにも、自分が何を選びたいのか全く分からないし、もっと言えば選びたいものなんてもうありません。

 

選びたい未来、生きたい未来なんてもうないのに、そのために何かを頑張らなければならないのは苦痛でしかないです。

 

最初昔話をするつもりだったのに、結局今の悩みを垂れ流すだけになってますね。もうここらで終えようと思います。長文失礼致しました。

 

それではまた明日。

 

※追記

7ヶ月ちょいぶりにこの投稿を読み返してますが、割と暗いこと書いてますね。

ちょっとそれは言い過ぎでは、、、と感じる部分が多いですが、そんなにおかしいことも書いていないようで意外と自分の精神状態は死んでなかったのだなと感じています(笑)

特に希望がないというのはこの頃と変わっていませんが、別にそれは悪いことではないので(こだわりがないと得なこともあります)変えなくていいことだと思っています。 

 

トゥギャザーしようぜ

ハロー皆さん。

 

今日ははてなブログチャレンジの一つ、「ルー語でアーティクルを書く」にトライしてみます。タスクのレベルは中級ですが、できるというフィーリングが湧いてくるので。

 

そうは言っても、アーティクルのコンテンツをどうするかがプロブレムですよね。ルー語で何かをエクスプレスすること自体はそんなにディフィカルトじゃなくても、ルー語縛りで何をライトしようかというとブレインを使う必要が出てくるわけです。(何でもいいけどイングリッシュワードをひたすらカタカナでタイプしてるとミーニングが分かるんだか分からないんだかになりますね。)

 

というわけで、今日はラーニングラングウィッジについてトークしたいと思います。このラングウィッジというのは今回はイングリッシュのことです。ドゥーユーアンダースタン?

 

私はもともとイングリッシュに関してグッドだったのですが、エントランスエグザムのための勉強を離れてからイングリッシュパワーが大幅にダウンしてしまっていたのでラストイヤーのこのぐらいの時期から腰を据えてスタディーを始めました。

スタディーと言っても皆さんがイマジンするであろう机に向かってカリカリとペンをムーブさせるガリ勉な感じではなくて、イングリッシュで書かれたインタレスティングなブックを読んだり、YouTubeでフェイバリットな人のムービーを観たりと、なるべくイングリッシュそのものに慣れる(ユースド・トゥー)ことをパーパスにしてスタディーしていました。(だんだんしんどくなってきました。)

 

あともう一つ意識(キープ・イン・マインド)していたのは、毎日少しずつでいいから必ずイングリッシュにタッチすることです。フィフティーンミニッツだけでもとにかくエブリデイです。これはとてもインポータント。語学のラーニングって突き詰めれば慣れ以外の何者でもないですからね。コンシスタンシーがヴァイタルなのです!(もうそろそろ終わりにします。)

 

そろそろストップしたくなってきたので、今日はこの辺でエンドにしたいと思います。もし最後まで読んでくださったヴェリーカインドなパーソンがいたらとてもサンキューです。

 

See you tomorrow! Have a nice day!(もはやルー語ではない)

 

ブログチャレンジ

こんにちは。今日もいい天気です。

 

はてなブログにはブログチャレンジというサービスがあって、面白いのでちょっとずつ取り組んでいます。例えば「5個のブログの読者になる」といったタスクがいくつかあって、それらをクリアしていくと自分のレベルが上がるといったものです。

初級から上級まであって、上級ともなるとクリアするのが難しいタスクが多いですが、初級のタスク内容は割と簡単なものが多いです。

 

あまり人と関わることを目的としていないので「月間PV〇〇達成」とか「〇個のブロググループに参加」などといったタスクは私にとって少し敷居が高いです。

が、きっとブログを続けているうちに気が変わってグループとかにも参加したくなるのでしょう。そう信じています。

 

その一方で、「〇〇文字以上の記事を公開する」といったタスクに関しては気づかない間に達成していて、何なら上級のものでも意識することなく既に達成していました。文章を書くのは楽しいので、自然と達成されていたんですね。小さなことですが、自分のしたことが認められたような気がして嬉しかったです。

 

他には少しずつ自分のできるところからタスクをこなしていけたらいいですね。種々の画像設定などは簡単にできるので随時こなしていきたいと思います。あとは色々な人の読者になってみるとか。

 

何にしても毎日ブログを楽しんでやっていきたいです。

それではまた明日。

ポジティブ思考

おはようございます。

今日は日頃思ってることについてグダグダと持論を述べたいと思います。

 

私はどちらかというと(というかかなり)ネガティブなタイプです。そしてネガティブなことについてメリットもデメリットもある程度把握した上であまりこの性格を直そうとは思っていません。悪くないものを直すというのもおかしいですからね。

しかし初めに直すという表現を使ったことからもわかるように、世間ではやれポジティブシンキングだのネガティブ思考を変えようだのと少しでもネガティブ要素を見せようものなら迫害されるかのような風潮があるように感じます。ネガティブは絶対的な悪だという考えがはびこってますよね。

 

ポジティブなことってそんなに偉いことでしょうか?

少なくともポジティブ思考を社会全体に押し付けることで得をするのはもともと放っておいても楽観的な考え方をするタイプの人だけだと思います。なぜならネガティブな人がポジティブなことは絶対的な善なのだと信じた場合、大抵はネガティブな自分を責める方向に考えを進めるからです。そうなるとポジティブ思考の押し付けはポジティブな人が自分をひたすら肯定する一方でネガティブな人をいじめるだけの行為に思えてきます。

 

楽観的であることにはもちろん大きなメリットがあるのでしょう。しかし全ての人がそういった考え方ができるわけではありませんし、(性格が変えられるものだという前提のもとにおいても)ネガティブな思考が得意である人がわざわざネガティブであることのメリットを捨ててまで完全なポジティブ人間になろうとするのは無駄であると思うのです。他にも日々をうまく過ごしていく方法はあるはずなのに、わざわざ自分が苦手なことを無理して伸ばそうとするのって何だか変ですよね。

例えていうなら、全く運動神経のない人が単にお金持ちになりたいからという理由だけでプロサッカー選手を目指すような感じです。いや、何でわざわざそれになろうと思うんだよ、他に金持ちになる方法いくらでもあるだろ!と言いたくなると思います。

 

サッカー選手について言えば当たり前のように感じられることが、ことポジティブシンキングについては無視されている気がします。わざわざ自分を正反対に変えようとするよりはメリットとデメリットをきちんと把握した上デメリットを逃しつつメリットを生かす生き方をする、という選択をした方がより自然でいいんじゃないでしょうか。無理して背伸びしてもあまりいいことはありませんからね。

 

というわけでまとめとしては、ネガティブな人はよほど自分を変えたいと思っていない限りはネガティブを飼い慣らして賢く生きていったらいいのでは?ということです。私も自分が持っている武器をわざわざ捨てるような真似はせず、その武器を使いこなしていけたらいいと思っています。

 

長文失礼致しました。それではまた明日。

 

Gacktさんについて

こんにちは。

 

昨日YouTubeを漁ってたらGacktさん関連の動画が面白くて何個か見てました。

あの方ほんとすごいですよね。顔はかっこいいし、身体はバキバキに鍛えてるし、歌は上手いし、五ヶ国語話せるし、超金持ちだし、家に滝あるし、etc...

それに加えて1日一食とか、1日3時間しか寝ないとか、もはや超人だと思います。

 

あそこまで男を極めたらどんな感覚なのか、ちょっと気になります。

それではまた明日。